最近あったちょっといいこと ~NOMADLANDをみて生きる意味を考えてみた
今週のお題「最近あったちょっといいこと」
最近あったちょっといいこと。
長年謎だったことがちょっとわかり始めたと言うこと。
それを今日は取り上げて話したい。
映画「ノマドランド」を観た。
定住せず車上で生活する「ノマド」の生き方を追ったロードムービーである。
夫を亡くした主人公ファーンは、夫が亡き後も彼が勤めていた会社がある街で生活していた。しかし、リーマンショックによりその会社が倒産したことで、その街自体がなくなり、仕事も住居まで失い、初老の彼女は短期の仕事を転々として車上での生活を余儀なくされる、という場面から映画は始まる。
思いがけずやってきた人生の転機で今までの生き方を変えざるを得ない主人公ファーン。
時に定住するチャンスも何度か巡ってくるが、彼女はノマドの生活、つまり定住しない生き方を自らの意思で選んで生きていく
仕事の上のしがらみや人間関係などから自由になるノマドの生活。しかしその現実は過酷だ。
そんな映画を見ながら、私は一人の友人のことを思い出していた。
かれこれ知り合って15年以上となる東ヨーロッパ出身の友人。
彼女は言った。
その友人は東欧のとある一国の出身。当初はお互いの子供が同じ幼稚園に通う同級生で、いわゆるママ友として知り合った。お互い英語を解するとわかり、少しずつ交流を深めていった。
彼女はよく「私は日本人のお母さんたちとは仲良くなれないの」と言っていた。そういう私も日本人のお母さんなのだが、、、とよく思っていたが、英語で話せる気楽さからか。彼女はよく自分の気持ちを素直に私に話してくれるようになった。
彼女が日本人とは仲良くなれないと思ったきっかけは、幼稚園のママ友との付き合い方に悩んだことがきっかけだったようだ。
ある日、子供の友達のお母さんにランチに招待されたときのこと、彼女の国では食事に招待されたらワインを持って行くのが決まりだそうで、友人宅にワインを持参したところ、先方のお母さんに怪訝な顔をされてしまったらしい。それからその時一緒にいたお母さんたちとは距離を置かれてしまった、と彼女は言った。
本当にそれくらいのことで距離を置かれたのだろうか?と私は不可解に思ったが、彼女はとにかく自分は日本人とはうまくいかないと信じ込んでいる。
そして、会うたびに「私はもう人とあまり関わらない生活がしたい。ジャングルで一人で暮らしたい」と言うようになった。
国民性、、、というよりは、彼女の性格なのだろう。
その後もランチをしたり、お互いの家を行き来したりしてよく話をしたが、たいがいは彼女が一方的に彼女の日本人の配偶者に対する不満であったり、日本になじめないという話であったりを私にものすごい勢いで話すのを私が聞いていた。
彼女が「もう日本にはいたくない。子供を連れてヨーロッパの国に移住する」と言い出したのは、たしかお互いの子供が高校に入学した頃だった。
偶然にも子供同士が同じ高校に入学したこともあって、保護者会などの際に顔を合わせることもあった。そんなある日、彼女は子供をイギリスの大学に進学させ、そのタイミングで自分もイギリスに移住すると言い出した。ふと彼女の方向性に疑問を感じた私は、「Mくんは勉強するんだよね?ではあなたは?イギリスであなたはなにをしたいの?」と尋ねた。
すると彼女は答えた。「それは難しい問題。そう、わからないの。」と彼女。「働くのかも。でもすぐに働き口があるかわからないし、、だから、わからない」
彼女の母国では歴史の教員をしていたという彼女。しかし、それは共産時代に培った知識がほとんどであり、あとで学び直す必要があったという。
そんな彼女はいったいイギリスで何をして生きていくのだろう?
何を糧にしていくのだろう。
ご主人はどうするの?と尋ねれば、「彼も早期退職してイギリスに住むことに同意した」という。
本当だろうか?
彼女のご主人は日本でも有名な大企業の役職についた人であり、そんなに簡単に早期退職するとも、イギリスで悠々自適な生活ができるとも私は思えなかった。
そんなこんなであっという間に大学進学のころになると、このコロナ騒ぎ。
ある日、彼女から一通のメールが入った。
彼女は2020年の初めにヨーロッパの母国に母親の看病をしに一時帰国したのだが、国がロックダウンとなり、日本に帰れないでいるとのことだった。
1年ちかく彼女は日本の家族と会えず、彼女の母国に閉じ込められた。
「もう息子とも夫とも会えないかもしれない」
そんな不安が毎日彼女を苦しめたそうだ。
2021年の春頃ようやくロックダウンが解除され、日本に戻った彼女。
どんなに家族に会いたかったかとあふれる気持ちを胸に日本に入国。
しかしうちに帰ると息子と夫からは「君がやるべき家事の負担を自分がかけられてしまった」と不満をこぼされ、もう今は自分の用事では簡単に出かけられない、とぼやいていた。
それから少しして、また私のところに彼女から連絡が。
「息子がイギリスの大学に行く手はずが整ったので、私もそのタイミングで日本を出国する。最後にNYAOにあって話しをしたい」
とうとう日本を出るのか。彼女は一体どうしたいのだろうか。どこに行くのだろうか?そんなことを思いながら彼女と会った。
話を聞くと「日本を離れていた間、家族がどんなに大切かわかったが、息子はイギリスに行くし、息子が日本にいない以上は日本にいる意味もない。夫は一人でいるのが好きだから、私が居なくても、まったく気にしない。だから、私は日本を出る。」
という。
一体あなたはどこで何をしたいの?
私は訪ねた。
彼女は苦笑いをして言った。
わからない。
でも、日本には自分の居場所はないと思う。
だからといって息子のいるイギリスにも住めない。
母国にとりあえずは帰国するが、母国での生活もほんとうにつらいので、ずっといるとも思えない。家族とはヨーロッパのどこかで集まる時間を作るつもり。だから、私たち家族はこれからはNomadの生活となる。
Nomad life
かっこよく聞こえる?
でも、それって表面だけ。
Nomadの生活って本当に美しくない。
彼女はかみしめるようにいった。
つかみ所のない彼女の話に、私まで身の置き所のない、不安を感じた。
なにがかっこいい生き方なのか、私にはわからない。
ただ、生きる目的は最初から与えられたり、存在しているのではなく、自分で決めていくものだと思う。いや、自分でしか決められないだろう。
そして自分の居場所はその目的を決めたことで作っていくものなのだと
思う。
ここで生きていくのだ、という覚悟。
それをもって居場所が確立されていくのだろう。
それを定められないのは、周囲のせいではない。
自分だ。
自分が定めていくしかないのだ。
自分の居場所は自分で作るもの。
私は今
友人が置かれている状況がどのようなものなのか、彼女はどんな気持ちなのかは正直よくわからない。
たまに彼女からメールが来るが、現在何をしているのかということは一切触れていない。
おそらく高齢になったお母さんの世話をして過ごしているのだと思う。
そんな彼女に、他愛のない日常を伝えたり、いつでも連絡してねっていうメッセージは返すようにしている。
映画「ノマドランド」の中の主人公は、ノマドの仲間を見つけ、時に集まり、そしてノマド生活をやめて定住する人を見送ったりしながら、自分なりの道を日々模索しているかのようだった。
自分なりの道。
それは自分でしか見つけられない。
定住することに満足を覚えず、満たされない何かを求め続ける、いや、求めているのだろうか?
求めることを拒絶してさえいるようにも思える。
そう、正解はどこにもないのかもしれない。
正解を求めることも、もはや不可能かと思うし、必要もないのかもしれない。
The answer is blowin in the wind…
ボブ・ディランの歌詞の一節
最近あったちょっといいこと。
若い頃は全くわからなかったけど、人生半ばまで生きてみて、今はなんとなくその意味が、心のどこかでわかるような気がしている。
それってわたしにとってはちょっといいこと。
わかったことで何が得したとかではないけれど、ほんのちょっと角が取れてこなれているような、そんな気がしている。
最近あったちょっといいこと。
いろんな生き方があってもいいだろう、という多様性がなんとなくわかるようになってきたことかな。